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タクシーの窓越しに見る
「何でもあるけど、
何にもない東京」から、
人生の大事なことを教わった

面接が終わった後の東京の街って、どうしてあんなにグレーなんだろう。

オフィスビルに囲まれているから? どの道もコンクリートでできているから? 就職活動も終盤なのに、真っ黒なリクルートスーツとパンプスはいまだに好きになれない。7社目の面接を終えて、オフィスの出口へと向かう。自動ドアが開いたら、その先はどこまでも灰色で途方に暮れた。面接官は私をどう思ったかな......。不安だ。

京都から1泊2日で上京していた私は、面接会場から最寄り駅の「北参道」までの道のりもわからなくて、徒歩10分の距離を自分では乗り越えられないように思った。今回の出版社の面接も、あんまり反応良くなかったな。1月の風は、リクルートスーツでは少し寒すぎる。

「もうずいぶん東京にも慣れたはずなんだけど」 私は就活2年生だった。1年目は、出版社を志望して全滅。第一志望の最終面接で、役員に次々と痛い質問を投げかけられ、心が凍っていったあの時間が、いつまでも記憶の中で色褪せてくれない。ため息をついて慣れないパンプスで歩く私の、心と手に持ったスーツケースがどっちも重くて、気づいたらタクシーを求めて周囲を見渡していた。

大通りまで出て飛び乗ったタクシーの運転手さんは女性。50代中盤くらいかな。私の疲れ切った顔を見た運転手さんは、バックミラー越しにゆっくり微笑んだ。

「どこまで行きましょうか?」

思わず最寄り駅ではなく、宿泊していたホテルの名前を告げた。私の疲弊した表情を見た彼女は、元気づけようとしてくれたのか、独り言のように話しはじめた。

「このあたりはもう少しすると桜が咲いてキレイなんですよ」
「最近、このあたり就活生と思われるスーツ姿の若い方がすごく多くて」
「この道、この時間はいつも混んでいるんですよね」

頷いても、頷かなくても、過ぎ去る景色のように、彼女の話は浮かんでは流れ去っていく。ぼーっと外を見てみると、地元では見たこともないくらいに車が敷き詰められた、まっすぐな道を走っていた。東京って本当に人が沢山いる。みんな毎日どんなふうに暮らしているんだろう。

「お客さんは就活生? 遠くから来られたみたいですね」

ふいに問いかけられて、私は「そうです。関西から今日は面接を受けに来て」と返す。すると、彼女は自分の話をはじめた。彼女は元々、バリバリのキャリアウーマンで、とある会社の役員だったらしい。

「会社員時代は、すっごく忙しかったけど、楽しかったなあ。朝から晩まで働いて、あの頃は毎日のように終電を逃していたから、タクシーの常連でしたね(笑)。ピリピリした空気の中で商談を進めたり、出張で世界中を飛び回ったりした時期もあって」

「仕事が大好きだったんですね」

「そうなんです。だけど、子どもが産まれたのを機に仕事をやめて育児に専念しました。仕事が大好きだったけど、目の前の子どもも大好きだったから。育児は仕事と同じくらい大変でしたね。でもやっぱり楽しかった。もう今じゃすっかり大きくなって、このあいだ就職して初任給で温泉に連れてってくれたんですよ。ベタだけど、うれしいもんですね」

バックミラー越しに見る彼女の顔は変わらず優しく微笑んでいた。すでにお子さんは結婚もしているらしい。きっと立派な人なんだろうな。彼女の瞳には、未来が見えずに不安げな私の姿さえ、既視感ある景色のひとつなのだろうか。そうであったらいいな、と私は思った。私も普通の人みたいに、せめて普通に就職できればいいな、と思ったから。

「それからどうしてタクシー運転手になったんですか?」
「子どもが大きく成長したとき、またもう一回、自分の人生に『挑戦』してみたくなったんです」

さらに、彼女はこう続ける。

「タクシー運転手って面白いんですよ。前の仕事とはいろんなことが真逆だから。昔は、誰かと目的のない会話をすることがなかったし、景色を見る余裕もない日々だったんです。でも今は、運転席からいろんな景色と街行く人を見ながら、お客様と雑談ができる。『こんな新しい人生があったんだ!』って思います」

彼女が楽しそうに話している。だけど私は、急に暗い気持ちになった。最近は気持ちがコロコロと変わって自分でも追いつけない。さっきの面接、やっぱりダメだっただろうか。やっぱり出版社には向いていないのかな。私はこれから、彼女のように前向きに生きていけるだろうか。バックミラーから窓の外にぼんやりと視線を戻した。道路の脇には、まだ咲く気配がない桜の木が並んでいた。

「桜って、一度寒くならないと咲かないらしいんですね。道なりの木も、今みんな花を咲かせるために準備してるんですかね。私、人生にも季節があるなって思うんですよ。ぽかぽか陽気もあれば、厳しい冬もあったりする。だけど、絶対に次の季節に繋がっているから」

タクシーは、東京駅に向かっていた。私は丸の内側の東京駅周辺が好きだ。あの、綺麗に区画されたビル群と、広い道路がいかにも都会的で、田舎者の私の憧れをどうしようもなくくすぐるのだった。

「東京って、本当に何でもありますね」

ビルに掲げられたファッションブランドの大きな文字を目で追いながら、私はつぶやいた。

「東京は何でもあるけど、それだけで、何にもない街です」

そうつぶやいた彼女の表情は、やっぱり微笑んでいた。そして、「自分次第で、どんなことも楽しくなりますよ」と続けてくれた。 

あれからもう、4年が経つ。東京駅に降り立つと、あのタクシー運転手さんの言葉たちをいつも思い出す。

私は出版社ではなくIT企業に就職し、プランナー職に就いた。あれから改めて「楽しいこと」を探してみたところ、それは「雑誌づくり」ではなく、「モノづくり」だと気づいたからだ。私は人の視線が集まるモノをつくりたくて、だから今はWEBサービスに携わり、いろんな人がインタラクティブにその上で遊んでいることに心から喜びを感じている。

あいも変わらず、東京は、私の前で「何でもある街」だ。だけど、「何でもある街」は、欲しいものがわかっていればいるほど楽しい街になるということが、年々わかりつつある。自分の人生を選びながら、選択肢が無数にある街を泳いでいる私の毎日は、まさに「何でもあるけど何にもない街、東京」といった感じ。日々は常に、選び取られて続いていく。

今年も、桜が咲いて、そして散っていくのを見送る。また、次の春に向けて、幹を太くし冬を超える準備を始めるのだろうか。あの、タクシー運転手さんは今、何をしているのだろう。だけどきっと、どんな毎日を送っていたとしても、自分の欲しいものをしっかりと見極め、そしてそれを楽しみ、「こんな新しい人生があったんだ!」と感動しているはずだろうな、と思っている。

季節は4つしかなくて、何度も何度も繰り返しているはずなのに、毎日はいつも新しい。だからこそ、私の好奇心はくすぐられ続けるのだろう。次はどんな瞬間を選び取ろうか。そんな感覚が手の上を滑るたび、あの人は今もバックミラー越しに微笑んでいることを確信するのだ。