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声優志望だった弟が、
ドラッグストアで見つけた
新しい道

6歳下の弟は私にとって、弟というよりも息子のような存在だ。母子家庭の我が家では、日中に幼い弟の面倒をみるのは私の役目だったから。

都会に出た息子を心配する田舎の親のように、私は時折弟に「元気なの?」というLINEを送りつける。実際は、東京に住んでいるのが私で、田舎にいるのが弟である。

「元気だよ。相変わらずエリアマネージャーに怒られてる」

弟からは、たいていそんな風に返信がくる。

弟は、西日本で展開するドラッグストアの社員だ。労働環境がかなり厳しい業界だが、話を聞くかぎりわりと楽しくやっているらしい。

「最近コスメが売れないんだよねえ。観光客頼りの戦略もいい加減見直さないと」

そんな愚痴を聞く度ちょっと不思議な気持ちになる。私たちは、少し前に1年ほど、東京で二人暮らしをしていた。そして、そのときの彼はドラッグストアの社員などではなく、「声優志望」のフリーターだったのである。

弟は、お世辞にも「できがいい」とは言えない少年だった。中学・高校通してずっと勉強が苦手だったし、高校を卒業する頃になっても進学や就職の意欲はなく、結局なし崩し的にフリーター生活へと突入していた。

寿司屋でのバイトをして、帰宅したら野球とネット掲示板を見る。家ではバイト先の愚痴をこぼす。その繰り返しの日々。将来について聞くと、必ずいじけた言葉が返ってくる。

「僕は、みきたちと違ってバカだから」

姉としてはやはり心配だった。どんな学歴だろうが職歴だろうが、「自分はダメな奴だからこう生きるしかないんだ」と決めてつけているのであれば、そんな風に思ってほしくはない。

風向きが少し変わったのは、弟が19歳になる年のことだ。

「声優になりたい」

弟が、そんなことを言い始めたのである。アニメの声優というよりはナレーターの仕事をしたいという。

声優というのは、一般的には家族の賛同を得難い夢かもしれない。狭き門だし、収入も安定しない。

だけど、母や私は反対しなかった。幸いというのか、我が家はフリーランス的な働き方を選ぶ人間が多く、「福利厚生」とか「月給」とかいった理由で夢を諦めさせる発想がそもそもない。全力でやってみるべきだというのが、家族の共通見解だった。

加えれば、まったく不可能な夢だとも思えなかった。もともと弟は、かなり特徴的なバリトンボイスの持ち主である。そのうえ、芝居をしたり何かを読み上げたりするのも好きだった。真剣に努力すればチャンスはあるかもしれない。

このとき、地元愛知を出て東京で新生活を始めていた私は、弟を東京に呼び寄せることにした。ボイストレーニングにしてもオーディションにしても、愛知と東京ではチャンスの数が桁違いだ。

弟も、憧れの東京に住めるというので喜び、板橋にある2Kの古いマンションでルームシェアすることになった。2012年春のことである。

しばらくは平和な日々が続いた。私は金融会社で働きながらライター活動に精を出し、弟はアルバイトをしながらボイトレに通った。二人で食事をしたり、映画を観に行ったりすることも多かった。

だけど次第に私はもやもやしてきた。弟の様子が、ちっとも本気に見えないのだ。週に1回のボイトレに行く以外、これといって夢のための行動をとらないのである。

もっとガツガツいけ、声優プロダクションに片っ端から声の音源を送れ。そう言ってたきつけたが、弟はあれこれと言い訳をしては動かない。私もまだ若かったので、弟のそういう態度が許容できず、怒ってしまうこともよくあった。だけど私が怒ると、弟はまたいじけだす。

「僕は、みきたちみたいに優秀じゃないんだよ」

優秀なんかじゃない。母も私も妹も、それぞれにできなかったことがあるのに......。弟のいじけと対峙するのは苦しかった。もちろん、向こうも苦しかったことだろう。

ところがそんな生活を半年ほど送ったところで、停滞した状況にまた大きな突風が吹いた。

きっかけは、弟が新たに近所のドラッグストアで働き始めたことである。家から近いから、というだけの理由で選んだ職場だったが、その店と、特に店長が弟の人生を変えた。

店長は、絵に描いたような昔気質のおっちゃんである。部下に厳しく、時には乱暴な言動をする。でも情に厚く、薬剤師としての知識も豊富で、店長目当ての馴染み客が町中にいた。

この店長に、弟はあっという間に心酔してしまったのだ。毎日のように叱られていたが、それがまた新鮮で嬉しいらしい。毎日、家に帰るとまずこう切り出す。

「ねえねえ、今日店長に言われたんだけど」

薬の知識、接客のコツ、ディスプレイの仕方。店長の教えをぐんぐん吸収していった弟は、いつしかその店の戦力として頼られる存在になっていた。

やがて弟は、「登録販売者の資格を取りたい」と言い始めた。

登録販売者とは、2009年の改正薬事法にともない新設された国家資格である。通常、医薬品は薬剤師か薬種商の人間しか取り扱いできないが、この資格があれば、第1〜第3まである医薬品区分のうち、第2・3類医薬品の販売は可能になる。医薬品のうち、実に9割を扱えるようになるため、ドラッグストアの店員が持っていると業務の幅がぐっと広がる資格だ。当然、雇用形態や時給にも大きく影響してくる。

「声優になりたい」と言い出したときはボイトレから先へなかなか進まなかった弟だが、今度はちゃんとテキストを買い、真面目に勉強しはじめた。

「今は資格がないから、店長や○○さん(販売者資格を持っている店員)がいないときに、お客さんに薬をすすめて売ることができないんだ。もっとちゃんと働けるようになりたい。あと漢方の勉強も一度してみたいんだよね」

そんな風に語る弟の姿を見て、私は理解した。弟の夢は「声優」だったわけじゃない。自分の力が認められて、成長を期待されながら、誰かのために頑張れる場所がほしかったのだ。そして、それをようやく見つけつつあるのだ。

その理解から、さらに気づいたことがある。

弟が「声優になりたい」と言ったのは、他の家族全員が、いわゆる「クリエイティブ」系の趣味や仕事を持っていたせいでもあったのだろう。

なにしろ、亡き父は広告代理店出身のプランナー、母と私はフリーライター、妹はインテリアコーディネーターである。肩書きだけ並べるとえらく「クリエイティブ」に見える。

そのなかで弟だけが、そういった夢も、趣味も持っていなかった。自分にとっての働き方のロールモデルがない家で、弟は混乱していたのかもしれない。

だけどドラッグストアという場が、弟のポテンシャルを引き出してくれた。弟のよく通る声、意外とある筋力、やけに細かい記憶力、お年寄りや子どもに優しいところ、年上の女性が多い場に慣れているところ。いろんなこと全部が活かせたのである。

自分の力を十全に発揮できるからいじけないで済む。いじけないで済むから発想がのびのびと広がって、将来のことや次にやるべきことも考えられる。考えられるから実際に動ける。良い循環が、弟の周りで生まれているのは明らかだった。

弟のそういう姿を見て、「クリエイティブである」とは職種で決まるものではない、とつくづく思った。

私はよく人から「クリエイティブな仕事に就きたいのだがどうすればいいか」という相談を受ける。ものをつくる仕事を、そうでない仕事より楽しそうだとか、かっこいいとか感じる人は少なくないのだと思う(実際どうか、という話は長くなるからやめておく)。

でも、そういう仕事につくことだけが「クリエイティブ」な働き方、生き方への道なのかといったら違うと私は考える。

「こういう風に生きなければ」という枠を壊しながら生きること、日々新しい考えや行動をつなげていくことも、「クリエイティブ」な生き方だと言えるのではないだろうか。

弟はその後しばらくしてから愛知に戻り、登録販売者の試験に2回目のチャレンジで合格する。それからすぐに中堅のチェーン系ドラッグストアに正社員雇用されると、実家からは離れたとある地域の店舗で働き始めた。最近、それなりに責任が重いポジションにも就いた。

「観光客のお客さんが多いからね、そろそろ中国語の勉強をしないと」

そんなふうに言う弟も、もう26歳。かつて彼と一緒に暮らしていたときの私と同い年だ。ボイトレで鍛えた超低音ボイスは、今でも接客にフル活用されている。

元声優志望のフリーター、現ドラッグストア店員。

こう書くと、単に夢破れ妥協した人の経歴のようだ。もちろんそんな見方もできるだろう。でもそれだけじゃない。弟は、自分の力を活かせる道、彼が本当にクリエイティブになれる場所を見つけたのだ。

最近会ってないけど、きっと良いドラッグストア店員をしていると思う。これは姉の贔屓目かもしれないけれど。