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転職し続けた父の
35年間の仕事を、
息子が勝手に振り返ってみた

父の人生は波瀾万丈だった。

父は岩手の材木商の家に生まれた。父の父、僕の祖父にあたる人は二代目だったのだが、働かずに絵を描き、酒を飲むような人で、そのうちに生活はどんどん困窮していった。まるで太宰治の小説に出てくるような環境で中学時代を過ごした父は、高校生の時に家を出る。そしてアイス工場で学費を稼ぎながら大学に通い、卒業後はシステム開発の会社に就職した。これからバリバリ働いて生きていくぞ!と思っていた矢先、ある日出社したら会社の入口に「倒産しました」と貼紙があった。

幼少期は波瀾に満ちていたが、社会人になってもその波は静まらない。この会社の倒産から父の転職人生が始まる。

父は社員寮に入っていた。倒産して静まり返った寮の部屋で「これからどうしよう」と途方に暮れながら、その夏の甲子園をずっと見ていたそうだ。甲子園が終わる頃、転職活動を始めた父はこれまでのキャリアを生かせるシステム開発の会社に就職をした。しかし、せっかく働くことができたその会社は過酷な勤務体系で、毎日終電で帰る日々。ある朝、会社へ向かう電車に乗ろうとしたら、自然と会社とは反対方向の電車に乗っていたそうだ。心と身体が出社を拒否している。父はこれ以上この会社で働き続けることは無理だと判断した。

それが27歳の話なのだが、父はとにかく運が悪い。生まれた環境から大変だったわけだが、その後も不運は続き、これから書き進める話も息子から見ても可哀想なくらいだ。

システム開発会社を辞めると決意した時にはすでに母と結婚していて、長男である僕が誕生していた。まだ赤ん坊だった僕がいながら脱サラを決意した父は、当時ハマっていたテレビドラマの影響で北海道に移住することにした。そのドラマは、東京で苦労が多かった主人公がまだ小さい子供たちを連れて北海道で自給自足のような生活を始めるというストーリーだった。

まさしく東京でいろいろあって疲れた父は、ワゴン車に詰め込めるだけの荷物を持って、家族3人で十勝に引っ越した。そして知らない土地で、経験も無い養鶏を始めることにしたのだった。当時の家族写真を見てみると、まだ若い父と2歳の僕が養鶏場で遊んでいる写真が残っていて、2人ともとても楽しそうな顔をしている。養鶏を始めた父の後ろを、僕もちょこちょこと追い掛けていた。忙しい会社員生活に疲れ切っていた父は、北海道の十勝平野で心を取り戻した。それにしてもまだ2歳だった僕を連れて、よく北海道まで引っ越しをしたなと感心する。付いて行った母もすごい。

しかし、自由な暮らしを求めて移住した北海道の生活はわずか2年で終わる。十勝平野の寒さが想像以上に厳しく、頑張ってはみたものの結局は本州へ戻ったのだ。北海道からワゴン車にニワトリを詰め込んで、今度は千葉の田舎で再スタートを切ることになった。

父は「生き物を育てるのは楽しい」と、千葉で養鶏を続ける事にしたのだった。しかし儲けがあまり出ず生活は困窮する。父は養鶏の傍らで、スーパーや給食センターなど、さまざまな仕事を掛け持ちしながらよく働いた。貧乏だったとは思うが、僕も子供ながらにニワトリの世話を手伝い、楽しい幼少期を過ごしていた。そしてその頃には兄弟も4人に増えていた。まさに貧乏子沢山だ。

やがて父は養鶏だけでは家族を養えないと判断して、屋根板金の職人になるために親方に弟子入りする。その親方はめちゃくちゃ厳しい人だったけれど、父は歯を食いしばりながら気合いで頑張って修行し、のちに独り立ちを果たした。

ちょうどその頃、父にしては珍しく運が回ってきたらしく、建築バブルがやってくる。その波に乗り、仕事がバンバンと来るようになった。父はとにかく毎日夜遅くまで働いた。普通、建築現場は日が暮れたら仕事はおしまいなんだけど、父はヘッドライトをつけながら夜中も雨どいをつけた。まさに寝る間も惜しんで働きまくったのだが、その結果ストレス性の脱毛症で全ての毛が抜け落ちスキンヘッドになった。

ここまで書くと父は運が悪いだけではなく、自分のキャパシティーを超えて働き続けてしまう性格だというのがよくわかる。

そこから父は20年、現場で働き続けた。しかし、建築のブームが完全に終わり、最後の最後には得意先の建築会社が支払いをしないまま倒産したため、屋根板金の職人をすっぱり辞める。父は板金の仕事に見切りをつけて、ビルメンテナンスの会社に就職。しかしその会社が2年後に倒産。まさに「父さんが倒産した」というオヤジギャグを素で何回もやっている。つくづく父は運が悪い。

そのあとは、養豚場に正社員として再就職した。その養豚会社に勤めてもう8年が経つ。豚とは相性が良かったのか、今では「養豚マスター」として養豚場でその名を馳せている。

父は与えられた状況の中で歯を食いしばりながら、僕ら4人の子どもを育ててくれた。

そんな僕も、父に負けずおとらず転職をくりかえしている。たぶん小さい時の記憶が身体に刻み込まれているのだ。その時々で自分の置かれた状況を見て、転職をしてきた。あと面白そうな仕事に誘われたら極力断らずに引き受けたり、「面白そう」「よくわからないけどとりあえずやってみよう」「せっかく誘ってくれたんだし」そんな気持ちで転職をしてきたりした。

父は僕によくこう言う。

「おまえはタフだからなんでも出来る」

幾度も死線をくぐって生き抜いてきた父に言われると力強く感じる。そして僕が転職や新しい事を始めようとすると、いつも応援してくれる。父は人生の中で何回もチャレンジを繰り返してきた。失敗はたくさんあったと思うけど、後悔はしていないはず。

小学生の頃から父の仕事をずっと手伝っていたので、本当にいろいろな経験をさせてもらった。養鶏をやっていた時にはニワトリに餌をやったり、卵を取ったり、出荷をするために卵を綺麗に拭いたりした。板金職人になった時も、土日や長期休みはニッカポッカと地下足袋を履いて、ずっと手伝いをしていた。父は厳しい状況に立たされても自分で仕事を見つけて、ずっと仕事をしてきた。父こそ本物のタフガイだと僕は思う。

僕自身もこの先どう生きていけばいいのか、未来が読めないのだけど、難しく考えていてもしょうがない。後ろを振り返らずに進んでいけば、たぶんどうにかなる。このことを胸に僕は人生を楽しんで生きたい。道が閉ざされた状況でも、きっと切り開けるということを父が教えてくれたような気がする。