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ずっと他人の評価の海を
泳ぎ続けてきたIT命の彼女が、
ちいさな花屋で見つけた
「自分の人生を生きること」の大切さ

「ずっとママが大嫌いでした」

ふわりと裾が広がった真っ白なドレスに、肩まで流れる緩くウェーブした髪。日本人離れした高い鼻に、薄茶色のアーモンド型の目。誰もが「美しい人」と認める彼女は、今日この場所で一番幸せなはずだった。その彼女が左右均等に整った顔を歪め、自分の前に立つ、ピンクのスーツを身に纏った女性に切れ味の良い刃物のような言葉を投げつけた。

鮮やかな花々で飾り付けられた会場に、風が通り抜けるようなどよめきが走り抜ける。私はフォークを口に運ぶ手を止め、今日自分と一緒にブライズメイドに任命された、隣の席に座る幼馴染と視線を合わせる。「随分遅い反抗期がきたね」と、ふたりでにやりと笑った。

「私が彼女に出会ったのは小学3年生。同じクラスだった彼女は当時、他の人と明らかに違う光りを放っていた。

凛とした佇まいに整った顔。どんな教科のテストでもさらりと100点満点を取り、校庭を走れば1番でゴールし、ピアノを弾かせればコンクールで優勝。作文を書かせれば全国大会へ。お習字もお絵描きも、クラスで1番。先生も、クラスメイトも、校長先生も、学校中が認める絵に描いたような「才色兼備な女の子」だった。

お互いを下の名前で呼び合うようになった頃、彼女の異様なまでに物がない部屋のことや、異様なまでに勉強に固執する姿勢が気になるようになった。そして間もなく、私はその彼女にぴたりと影のように重なる、完璧主義のママの存在を知ることになるのだった。

小学3年生にして彼女は、他人と競い、認められ、勝つことだけを考えて生きてゆく英才教育を受けていた。

「98点まで取れて、なんであと2点が取れないの?」なんてセリフを、漫画以外で聞くことになるとは。当時私は、悔しそうに唇を噛み締める彼女の横で、ぽかんと口を開けて見ていることしかできなかった。

母の魔法の言葉に背中を押されるように、中学を卒業した彼女は県内トップの高校へ、その後は有名大学へ進学した。ぐんぐんと加速していく彼女は、見ているこちらにとっては、夏の風のように清々しかった。しかし「この会社に内定が決まったの」と彼女が見せてくれた社名と彼女の印象は、あまり私の中でリンクせず「本当にここに行くの?」と問いかける私に、ただ一言「IT企業の中では今一番人気があるし、有名なんだよ?」と笑った。

新卒入社した会社でも、彼女は輝き続ける。新サービスの企画コンペで優勝した話。社長に褒められた話。社長直属の部署に異動になった話。LINEの幼馴染グループに投げ込まれる数多の華々しい報告にも慣れた頃、彼女からの連絡は突然、ぴたりと止んだ。

「ゴールが見えなくてさ」

1年ぶりに会った彼女は、クマで目の周りがすっかりパンダのように沈み、でも手にはしっかりとPCを握りしめ、綺麗に染められていた長い髪は根元が伸びきったプリン頭になっていて。つまり知らない人になっていた。

「何人抜かしても、前が見えないんだよね。そもそも、何が前で後ろなのかもわからなくってさ。仕事には首席がないんだよ、ゴールが分からない。誰と比べて、一番を取ればいいのか分からないんだよ」

彼女が心底不思議そうな顔で、私に語りかける。

「前はね、企画が通ったり、優秀な成績をおさめると、みんながすごい!って言ってくれたんだ。でもそれが当たり前になってきて、認めてもらうためには、もっともっと努力しなきゃって思うの。大事なコンペがあるから徹夜で企画を考えなきゃだし、もうすぐ後輩が入ってくるから負けないようにしなきゃいけない。でも、最近頑張れないんだよね。なんでだろう......」

「暗いトンネルを、永遠に走ってる感じなんだよね」

最後の一言が私をひやりとさせ、かける言葉を探しているうちに、じゃあ会社に戻るからいくね、と珈琲をぐいと飲み干し、彼女はオフィス街へと姿を消してしまった。

彼女にドクターストップがかかり、会社を休職したのを知ったのは、それから3カ月後のことだった。

それでもここでは立ち止まれない。働かせてほしい。

そんな彼女を、否定も肯定もせずそっと優しく包んだのは、会社の同僚だった。

「調子はどう?」

独特のゆるい空気を身にまとい、お見舞いにきた彼に、彼女はぺこりと頭を下げた。奥歯を噛み締めファイティングポーズを取る彼女の横で、軽やかに鼻歌を歌いながら、さも楽しげに、うれしそうに、コードを叩いていた、ひとつ年上のエンジニアの先輩。

ぎゅっと、布団の裾を掴む彼女の手に力が入る。

「こんなことをしていたら、せっかく差をつけたのに、また追いつかれちゃう。そして抜かれちゃうし、置いていかれちゃう。ゆっくりなんかしてられないです」

その言葉に、彼が不思議そうな顔を向ける。

「差をつけるとか、置いていかれるとか。その勝ち負けを決めてるのは友美でしょ? 周りじゃないよ」と笑った。

「友美の人生を形作るのは他人じゃない。友美自身なんだから」

その後、彼は人生のパートナーとなり、彼女はIT企業を辞めて花屋になった。

「本当に自分の好きなことはなんだっけって考えたら、お花だったんだ」

2年越しに会った彼女の顔は頰に色が差し、驚くほど柔らかな表情に変わっていた。

「最初は"きっとみんなすごいって褒めてくれない"とか"ママはなんていうかな"ってすっごく怖かったの。でも、いざやってみたら、何に怯えて、何から逃げて、何と戦っていたんだろうって思う。もちろん今だってママは、私が知名度の低いちいさな花屋で働いていることに納得していないかもしれない。周りでひそひそ噂をする人もいるかもしれない。でも、そんなのどうでもいいことなんだよね」

だって今、人生で最高に楽しい。

お花のように鮮やかな笑顔で、彼女が微笑んだ。

「ママ。私はママがずっと大嫌いで、憎んでいました。ママがかけた呪縛は今でも時折、私を蝕んでいます。でも、同じくらいに大きな愛情をママに持っていました。これから私は、私の人生を歩んでいきます。だからママも、私に自分の人生を預けずに、自由に生きてください。一緒に、自由に。27年間、女手ひとつで私を育ててくれて、ありがとう。貴女の娘、友美より」

会場に、温かな拍手と歓声が巻き起こり、私と幼馴染はもう一度顔を見合わせて笑いあった。

この彼女の経験は、私の中にも今きちんと根を張り、息づいている。人はつい、自分の人生を生きることをたびたび投げ出し、他人任せにしてしまう。

だけれど、幸せか、不幸せか。それがやりたいことなのか、やりたくないことなのか。必要なのか、不必要なのか。それを決めるのは、いつだって他人ではなくて、自分自身なのだ。